存在理由その2

 存在理由。

 もしくは論理を超えた必然性。

 これにかてて加えて、さらなる疑問と苦悩が新浮上した。

 広島焼き。

 いったいこれ、どうやって食べたらええんじゃろうか…。

 4分の1は、上から順番に食べてみた。卵焼きは卵焼きの味。焼きそばは焼きそばの味。そして、お好み焼きはお好み焼きの味だった。

 しかし、それでは…。

 存在理由の全否定となるではないか!

 違う。このような食し方は、たぶん間違っている。

 全部の層をまとめて一挙に口に入れなければ、広島焼きの存在理由も形態の必然性もないに違いない。

 たぶん、金へらなどで縦割りに分断し、そのまま口に運ぶものなのか?それとも、箸などで、粉々に砕いて混ぜ合わせて食べるべきなのか?

 ナイフとフォークで切り分けて、三層を混ぜ合わせた合体物を食べてみた。カオスの味だ。悪くはない。んーまかった。

 フランス料理のガレットのような食し方だ。これは、もはやお好み焼きではなく、広島ガレットだ。

 しかし、あたしゃ、こんなことで悩んでいる場合ではなかったのだわ…。やっと重い腰を上げ、自分の本の原稿を描き始めたのだ。まじめにワードに向かわなければ。

 今夜は雪になるらしい。広島焼きは棚にあげておくとして、今夜は熱々のあたたかい料理だな。

 おでんと、豚キムチ揚げ餃子〜!

 おっと、いかん、いかん。油断すると、すぐに食べ物のことを考えてしまう。原稿だ、原稿。

存在理由

 存在理由。

 もしくは、論理を超えた必然性。

 未だ以て、分からないことがある。

 広島焼き。

 何故に、お好み焼きの上に、わざわざ焼きそばをのせ、その上さらに、卵焼きまでのせるのか。

 お好み焼き+焼きそば+卵焼きという関係性に、いかなる必然性と、その合体物の存在理由があるのか。

 別々にすれば、三品の料理になるというのに。

 以上の疑問を解けず、私はいまだかつて、一度も広島焼きというものを作ったことがなかった。

 お好み焼き、焼きそば、卵焼き。これらを同時に作るためには、三つのフライパンと、三つのガス口と、6本の手が必要になる。

 残念ながら、私には「無」だ…。

 以前、試食担当部長に、広島焼きを作ってほしいと言われたことがある。

 私は、その存在理由と合体の必然性が分からず、手が6本ないので、「作れない」と答えた。(断ってしまい、ちょっと気の毒だった)。

 時空を超えた時間のひずみ。

 私は、その中に、腕6本分の広島焼きを見出した。フライパンの中で、微妙な時間差攻撃をかけ、お好み焼きと焼きそばと卵焼きをほぼ同時に焼き上げた。

 やりゃー、できるじゃん。一応、それらしきものが出来上がったわ…。

 ということで、生まれて初めて作った広島焼きが、本日の私の昼飯なのでございます。

 疑問は、まだ解けていません。