存在理由。
もしくは論理を超えた必然性。
これにかてて加えて、さらなる疑問と苦悩が新浮上した。
広島焼き。
いったいこれ、どうやって食べたらええんじゃろうか…。
4分の1は、上から順番に食べてみた。卵焼きは卵焼きの味。焼きそばは焼きそばの味。そして、お好み焼きはお好み焼きの味だった。
しかし、それでは…。
存在理由の全否定となるではないか!
違う。このような食し方は、たぶん間違っている。
全部の層をまとめて一挙に口に入れなければ、広島焼きの存在理由も形態の必然性もないに違いない。
たぶん、金へらなどで縦割りに分断し、そのまま口に運ぶものなのか?それとも、箸などで、粉々に砕いて混ぜ合わせて食べるべきなのか?
ナイフとフォークで切り分けて、三層を混ぜ合わせた合体物を食べてみた。カオスの味だ。悪くはない。んーまかった。
フランス料理のガレットのような食し方だ。これは、もはやお好み焼きではなく、広島ガレットだ。
しかし、あたしゃ、こんなことで悩んでいる場合ではなかったのだわ…。やっと重い腰を上げ、自分の本の原稿を描き始めたのだ。まじめにワードに向かわなければ。
今夜は雪になるらしい。広島焼きは棚にあげておくとして、今夜は熱々のあたたかい料理だな。
おでんと、豚キムチ揚げ餃子〜!
おっと、いかん、いかん。油断すると、すぐに食べ物のことを考えてしまう。原稿だ、原稿。