画像無しです。あまりにもたくさん写真を撮っていて何を選べばいいのか分からないからです。パン本のためにたくさんの種類のパンを作っては撮り、作っては撮り…。大変だけど楽しいところを見れば、やはり根から好きモノなんでしょうねえ…。呆れた話です。今後の取材の撮影はパンに限り、絶対に自分で撮る、そう決めました。絶対に他人には撮らせない。でも、料理の写真は許す。他人が撮っても似たようなものだからね。(まあ、作った私のほうがいい写真を撮るけどね。)
写真撮りたさのあまり、普段とは全く違う全身全霊のエネルギーを使って作り、そして撮影する。被写体を自分で作り、自分で撮る。これが原則だよな…・私の。
どーでもいいような出版社なら他人に撮らせてもいいよ。でもね、自分の本を出してくれる出版社には自作自撮を強く要求する。そのほうが技術や設備は貧相でもスピリチュアルなバイブレーションの画像を発揮できるもん。
他人(プロ)が撮ると思ったら、作るのも無意識に手を抜くよね。撮り方や設備のよさで何とでも誤魔化してくれるから。
でもさあ…。私のオモチャみたいなクソッタレデジカメで撮る場合は被写体をきちんと作らなければ、きちんと取れないもんなあ〜。私の写真を使うほうが、出版社だってカメラマンの費用がかからないんだから、経費が少しだけラクになるかもしれないし。
私はいい写真撮りたさのあまり、最近すっかりパン作りの技術面が伸びました。ふだん、生徒を相手にしていると、技術的レベル(のみならずなんだけどねえ…)が低いので、どんどん自分の技術や感性も停滞し続けていたわけよ。ヤバイなあ〜と、うすうす思っていた。でも、ヤバさは感じたけど、どうしていいのか分からなかった。
写真を撮り始めたら、無残な映像がその手抜きと気分的落ち込みを露骨に反映していたわけよ。
ヤバイと感じた。
カメラが私のパン作りの先生でした!
これが分かっただけ、未知の世界に挑戦した価値があったね。人間、何が指針になるか知れたものじゃないよ。
「最近の高性能のデジカメだからキレイに取れる、さすがデジカメだねえ〜…。」とかイヤミを言うアホのクソッタレはいる、のだけれどね。だから、アホは絶対に相手にしない!死ね。
でも、デジカメ機能を全て排除して、完璧なるアナログ環境で、お日様や雲や季節や時間と追いかけっこで撮影する現場はハイテクでもなければ、フィルカメラよりも、もっともっとメカとは遠い世界だよ。恐ろしくなるくらい、もっともっと原始的な世界だ。フィルムカメラのときはこんな危機感はなかったもんな。単なる技術と設備と数字的マニュアルの世界だったもんな。
今は作ることが面白い。単一的なものではなく、自分で被写体を作り、自分で撮り、それをきちんとした本作りに持ち込んで交渉する。こんなことが、むしょうに面白い。
書きなぐりのこんなブログだけれど、実は私の次への指針となってくれたきっかけでした。(もちろん、ブログの原稿なんて本にはならないよ。巷ではブログ本とか流行っているみたいだけど…。違うね、あれは。ブログと本の原稿とでは、マスターベーションとセックスくらい天地の差があるよ。同じようなものに思う人は完成鈍っているよ。)
出版界も今はとても厳しい…。今後は変わっていくと思うよ。ド素人のものでも、ホンモノは残るだろうし、売れモノでも安直なものは荒廃を招くと思うよ。