お教室の本日、お寒うございます

 教室だというのに、肌寒い曇天です。お気をつけていらしてください。

 パソコンを置いてある私の仕事部屋は、今や味噌屋のモノ置き場状態。全部、味噌樽です。ここまでくると、作業台代わりにすらなります。コピーした原稿を載せたり、荷物を置いたり。全部で30kくらいの大豆の味噌樽が所狭しと並んでいる。
 昨年三月に仕込んだ豆味噌を開封し、近日より食べ始めました。すごくウマイ!教室のみかや純子が仕込んだのも同時期だから、そろそろ彼女たちも食べ初めていることでしょう。「1年くらい熟成させて…」と言ってしまった私が、10ヶ月目で早々に手をつけて食べ初めてしまった。教室のみなさ〜ん、もう食べてもいいですよー。予測より早く美味しく出来上がったですよ〜。去年、みんなでやった豆味噌仕込みは面白かったねえ・・・。乾燥味噌玉にしたので、硬くて。ついにハンマー持ち出して、みんなで大工仕事みたいにトントン割って、爆笑ものでしたね。私の豆味噌は乾燥味噌玉に生味噌玉をたくさん混ぜ込んだので、熟成が他の生徒のものより早いのかもしれない。(乾燥させて中にカビを生やしたものは種を自家採取しにくく使い切りになるので、今年、私自身は生味噌玉ばかりを仕込みました)。

 立川の店のほうも今月一杯で終了になるので、純子やみかを呼んで、お疲れ様のカンパイをしたいです。美味しく出来上がった豆味噌も食べさせたいし。(同じ時に同じ場所で同じものを仕込んでも、熟成過程の条件が違うので、みんな別々の味になっているはずです。たぶん、私のが一番美味しい。と、まあ、みんな自分のが一番と思っているわけよ。味噌作りする人はオメデタイ手前味噌なのです。)

沢庵漬けの二番床で浅漬け沢庵

 沢庵漬けを作っている方は昨今少ないかもしれませんが…。私は12月になると沢庵漬けを仕込みます。そして、ちょうど今くらいに食べ終えます。本漬け沢庵を食べ終えた後に残る糠床…。これをすぐに捨てるのは惜しいのです。沢庵の美味しさがたくさん染み出ていますから。
 上がっている余分な水気を軽く捨て、糠床に砂糖を適当に混ぜ込みます。(これは糠床の菌に栄養と発酵力を補充する意味もありますし、浅漬け沢庵の優しい味付けにもなります。ですから、砂糖は好みの量で加減してください)。
 軽く干した大根をこの2番床に漬け込んで重石をして1週間〜10日間ほど置きます。沢庵風味の歯切れよい軽い味わいの漬物になります。本漬けのしなしなと黄色くなった沢庵よりも、ずっと食べやすいのです。(薄味なので、ついついカリカリと食べ過ぎてしまう…)。
 大根の葉も一緒に漬け込んでいます。(外側のゴワゴワ傷んだ部分を取り除き、芯に近いキレイな葉の部分)。これは洗ってみじん切りにして水で軽く塩抜きした後に炒めると、野沢菜の油いためみたいな漬物になります。沢庵漬けを作っている方はぜひ、二番床も活用してみてください。

 前回のブログは尻切れトンボになってしまいました。何となく、生活面がこちゃこちゃ忙しいみたい。(仕事のほうも忙しくなればいいのだが…)。晶文社の重版本が2月初頭より、また店頭に並ぶことになったので、急きょ教室の体制を従来どおりに立て直さなければいけない。(今回の重版本2冊には、ちゃっかりと教室への連絡先メールアドレスを加筆してしまったのだ〜っ!)(そして、ちゃっかりと、入会の生徒増強を企てているのだ〜っ!)。教室は今もってまだ、再開時同様の1回制のスポット体制でやっている。これって、全然よくなくて。せっかく予定を立てても、予約無しの時や、急なキャンセル発生のときに、予定や準備したものが全て台無しになってしまうわけです。組み上げたスケジュールがスケジュールどおりに進まない。結局、次のスケジュールアイテムも定まらなくなるわけです。早々に従来どおりに組み立てなおして、きちんと会員制にして安定した内容にし、募集しなければ…。あせっても、1日中、なにやかにやで埋まってしまい、後手後手になってしまう。ああ、反省。

もうじき、重版の本が店頭に並びます

 晶文社の拙著、・秘伝「自然発酵種のパン作り」と「発酵食作り」は、来月2月の初頭に店頭に並ぶ予定らしいです。(と、本日、未知の新・編集者から、どことなく心許ないメールが入っていたんだけどさあ〜・・。)まあ、予定ですから、あてにしないでください。
 んなこと言ったらさあ〜。 1年以上も前に原稿を渡した某出版社からは、いまだ某拙著が上梓される気配がありませんし。まあ、だらしがないということで。ははははは!出版社は、ね。まあねえ・・なかなか大変ですよ。(なぜ、私はそのような関係をイジイジと続けているのか?)(自分もだらしないせいであろう)。

 あ、今、人が来た。あわてて閉めます。(私、もしかして、忙しいのかも)。続きは明日にでも。

 

なーんとなく、忙しいかも

 正月が明けたとたん、たまっていた仕事をボチボチやっていたら、なんとなく毎日がふさがってしまっていました。走り回るほどではないまでにも、ゆっくりと座っている時間も確保しきれず、だ〜らだらとオシゴトらしきものを片付けていました。急いで済ませてしまっては、ちょっと、もったいないなーみたいな仕事。言うなれば日常茶飯事的なもの。時間稼ぎ。
 このようなものを片付けている間に、いろいろな原稿の構想を頭の中でこね回すのよねー。手でやっていることと、頭の中の何かに距離があるのです。これ、大事な時間。これがないと、原稿が書けないのです。アプローチ時間。
 ぼーっと座って何かを考えるってことはしないのです。動き回りながら、別のことを考えている。で、これが煮詰まってきたら、その後は、ボーッと机の前に座る時間が欲しい。
 アスペクトの原稿が気にかかってしょうがない。早く何かをまとめなければ。何かを具体的に送らなければ。でも、まだ、できていない。やばい。焦燥感を誤魔化すかのように、日常茶飯事オシゴトに精を出す。たぶん、明日も書けない。私の私的生活が何となく変化してしまったから。
 一人だった生活が、なーんとなく二人になってしまって、1ヶ月以上たつ。こんな、なーんとなくふさがってしまった時間って、もしかして、幸せかも。

本日で正月休み完全終了かな?

 成人の日らしい。本日も全国的に祝日休みのようだ。(でも、美容院で働く方たちはさぞかし忙しい一日でしたでしょう)。
 私も(本日も)プータロー決め付けている。(明日こそマジメに締め切り原稿を書こう)。お天気がいい。娘の麻衣の6年前の成人式の日は大雪だったなあ…。振袖の晴れ着に長靴をはいていたっけ。途中でちゃんとぞうりに履き替えたらしいが、夜に帰宅したときは…足袋は一応はいてはいたが、はだしで帰ってきた!着物のすそを両手で捲り上げながら。なにやら履き慣れないぞうりが壊れてしまって、やむをえずに脱いではだしで帰ってきたようだ。振袖を着て裾をたくし上げ、雪道をぐしょぬれのはだしで帰ってきた成人式の我が娘!!!!!…を玄関で見たとたん、卒倒しそうになった私。上部構造は晴れ着、下部構造はみぞれ雪にずぶ濡れになったホームレス状態だった。そのあまりの落差、この世のものとは認知できぬ摩訶不思議な形相に、私は一瞬取り乱しそうになってしまった。ああ、ふふふふふ…わはははは…と笑うしかなかったよなあ。
 今日は昌弘の早大時代のお友達二人を昌弘が連れてくることになっている。楽しみだねえ〜若い人たちに会うのは。何やら、楽天とかいう今をときめく会社で働いている人らしい。(わたしには縁遠い会社ではあるが)。ピザでも焼いておもてなししようか。パソコンのこと、いろいろ教えてもらおう。YAHOOのほうのメールにたくさん迷惑メールが入っているけれど、それの削除の仕方すら分からないし。パソコンに強そうな人がいるのは、ちょいと心強いです!(ただし、教えてもらったから、必ずできるとは限らない私の脳みそであります)。

おせりの後始末はブイヨン引き

 写真を撮らなかったのが残念ダア〜。「ヤバイ状況」になってきた「おせち」を本日、全部違うものに生まれ変わらせたのダア〜。

 おせちで食べ残した・お煮しめ、昆布巻き、叩きゴボウ、田作り、鶏肉の照り焼きなどは、年末の料理に出た野菜くずや鶏がらなどと共に、コトコト煮出して、ぜーんぶブイヨンにしてしまったのですよ。(まあ、毎年のことだけどね)。どれもこれも一人分とは言えないほど、ちまちま残っていたのです。とても美味しいブイヨンが引けました。本日は、その冷凍保存作業と、それでも余剰してしまったブイヨンで、トン汁作りでした。(このトン汁も最高に美味いです!ぜひ、お試しください)。

 最低最悪なのが、きんとん、そして黒豆。(きんとんは栗きんとんと、白花豆・百合根のきんとんの2種類)。これらもビミョーに残った…。黒豆はシロップ漬けの柚子風味にしてあるので、さほど甘くはない。五目煮などの煮物に使えます。問題はきんとん。これはペストリー生地(クロワッサンみたいなパン生地)を本日仕込んで、明日にでも、しゃーしゃーと甘いペストリー(マロンだのビーンズだのと名前を変えて)のトッピングやフィリングにして焼き上げます。本日、今一度火入れして、余分な水分を飛ばさなきゃパン生地やパイ生地には使えないけどね。生クリームなどを混ぜると、きんとんはとたんに洋風の素材になるのです。
 問題は数の子。これは困る。私は鰊の切り込みに混ぜ込んで、塩辛状態に持ち込むのですが、これは典型的な北海道の食い物。「鰊の切り込みって何?」とまいど問われる。「塩辛ですよ、魚の…」。北海道人はこの切り込みに数の子を混ぜ込むのです。それ以外なら、松前づけに混ぜ込む。しかし、内地では途方にくれるほど数の子(鰊の魚卵)の活用法料理が少ない。
 おせち料理衰退の原因は、(たいがい、おせちは最後には残って持て余される)、繰り回しの活用料理法をみんな知らないからなんだろうなあ。

 おせちの教室、毎年、誰からも予約が入らないもんな…。正月料理なんか、いまどき若い人は作らないのだろう。というか、私より年上のオバサン(50代のバーサンか?)すらも、今は作らないからねえ…。20代半ばの娘の麻衣や、30才過ぎたばかりの昌弘ですら、喜んで食べてくれたおせち料理なんだけど、「作る」という不条理な行為はどんどん廃れていって、「買う」「食べる」くらいが、残るんだろうなあ〜。「作る」は「商業的業務生産」にとって代わられるんだろうなあ…・。
 私は、生きてるうちだけは、愛する人たちのためにだけでも、毎年、こてこて手作りしよう〜っと。

25年ぶり?国立・あひるの家の狩野さん

 いや〜、懐かしかったね。私は以前、ポラン広場関係相手に事業をしていたのです。ポランは有機農産物運動の促進グループ。25年も前になるかな…。初めて国立・あひるの家の経営者・狩野さんと会って話をしたのは。彼が夢市場などに連れて行ってくれて、そのことがきっかけで私のポラン仕事が開始。国産小麦のお菓子を製造・卸しする仕事を細々と開業しました。狩野さんは言うなれば恩人なんだけどね。でも、そのポランを辞めて10年以上になるわけよ。ちょいと気まずくて、なかなか会えなかったけど、今回ホッチ鍋のホッチコージクン&幸子ちゃんが車で私をあひるの家まで連れて行ってくれた。ほぼ四半世紀ぶりの再対面でしたねえー。懐かしかった。
 狩野さんの奥さんのくみさんもいたし、息子もいた。(大人になっていた)。一言で言えば、あたりまえだけど、お互い、みんな年取ったなあ〜…・。
 あひるの家の二階も懐かしかった。昔、大森君があそこでレストランやっていたんだよなあ〜。大森君は何度かウチに遊びに来てはご飯食べたり酒飲んだりしていったよなあ〜。元気でいるのかなあ〜。東京での仕事を辞めて、田舎に帰ったらしいけど。
 25年ぶりのそぶりもお互いに見せずに、今のことばかりを話した。何一つ気に留めずにね。家に戻ったら、なんだかタイムスリップしたみたいで、頭の中がポヨヨーンとしてしまった。(1月2日の夜中に起きた歯痛のせいで痛み止めを飲んでいたせいもあるのでしょうけど)。25年かあ…・・と思うと、長いような短いような。辛かったような、楽しかったような。何も無い巨大な空洞だったような、否、凝縮された濃厚な時間だったような…・・。
 狩野さん、角が取れて、どこか丸みを帯びた話しぶりだった。昔のギラギラした険しい目ではなかったね。相変わらず、口は悪いけど、でも険しさや怖さはなくなっていた。感性は相変わらず鋭いね。(昔のポランの男たちはみんなそうだった)。コンセプトに対する美意識みたいな、鋭敏な感受性。そういう意味では中身は変わっていないのかもしれない。
 最近、とみに新しい人たちとの出会いと懐かしい人たちとの再会が多いのです。過去と今が、未来につながっていくようで、なんだか感慨深いのです。これもあたりまえの話だけれど、過去があるから今があり、今があるから未来もあるんだろうなあ。
 今を大切にしようと、しみじみ思う昨今です。

山下僧侶と初味噌仕込み

 3月3日満月の夜。エーコージの住職・證善ちゃんと「玄米麹入り豆味噌」仕込みを完成させた。
 豆味噌仕込みは年末に昌弘と、玄米麹仕込みは元旦にやはり昌弘と、そして玄米麹が完成した昨日、住職と一緒に豆味噌切り替えしも兼ねて玄米麹の混入を済ませた。満月仕込みの玄米麹豆味噌。この樽で30kくらい。年末からの味噌仕込みはこれで5樽め。
 昌弘も證善もボーズ頭なので、今回の味噌仕込みはまるで坊さん二人と共に寺味噌を仕込んでいるような気分だった。なかなか宗教的な味わいの味噌に仕上がるに違いない。ありがたや、ありがたや。忍野村の湧き水を運んできてくださった住職。水の入ったタンクが重すぎて、水を使おうにも持ち上がらない。(怪力坊主だ…・)。昌弘も、まるで水汲みの行のごとく、国分寺跡のお鷹の路から湧き水を汲んで運んでくれている。湧き水仕込みの味噌たちでもございます。ありがたや、ありがたや。

新年明けちゃった

 年末に来客が続き、その上、玄米糀作りで遊んでいたのです。で、31日になってから、あわてておせち作り。昨年末の教室の「おせち料理」予約生徒はいなかったので、だ〜らだらと気ままに、ギリギリに。(ラク〜)。
 昨日、元旦。麻衣も、昌弘も我が家で合流して三人でご飯大会。昌弘いわく「わあ〜、弘子さん、このおせちなら1セット1万5千円以上でで売れる!僕、営業係になります。来年からは販売しましょう!」。でしょ〜。お一人様5千円の教室なんかやって、おせちを持ち帰らせていたのでは大赤字になっていたであろう。おせち作りも餅つきも全部一人でやった。
 今年の昆布巻きは精進で、具はゴボウと人参。油揚げのおとしぶたをかぶせ、同じ鍋で手綱こんにゃくも一緒に煮含めた。使った道具は小さなゆきひら鍋二つだけ。砂糖は一切使わずに、徳島の山口養蜂園から取り寄せたみかん蜂蜜と自家製みりんにしてみた。去年のものより出来は良いようだ。昌弘のけぞり100点満点くれて、麻衣は「今年のはいつもより、リキがはいっているねえ」。よしよし、いい子だ。
 おせちはどんなに少量仕込みしても、小型三段お重箱に最低でも3ケース分くらい出来上がってしまう。1ケースはご飯大会で三人で食べて、1ケースは麻衣に持ち帰らせて、残り1ケースは昌弘が吉祥寺のハモニカ横丁で店を(年末年始も休まずに!)やっている彼の友達のところへ持っていってくれた。助かった。これで、我が家の冷蔵庫も普段どおりのスペースが空いて、本日より、いつものシンプルライフ、シンプルクッキング、そして、毎度お馴染みのその日暮らし。
 明日は山梨の山下僧侶ご夫妻が来るし、あさってはホッチ鍋のコージクンと幸子ちゃん夫妻が群馬から来る。山下住職には意地でも玄米糀作りを教え込むのです。エーコージでの三月の味噌作り大会、従来の購入市販糀ではなく、住職自らの手作り玄米糀を使用すべき!と、説き伏せてあるのです。(どういうわけか、僧侶を悪しき道へと洗脳している私)。コージには、味噌を作るならコージなんて買うな、私が玄米コージを作ってあげるから、コージよ、コージを取りに来いと、これも洗脳しておるのじゃ。こうして、私の味噌ファミリーが、コウジ菌家族が、全国中にどんどん繁殖していくのでございます。そういえば、年末には内藤弘子ちゃんが、味噌玉とダンナを引き連れて、我が家に「味噌玉検診」に来た。ちょいとヤバイかも系のカビも生やしていたようだが、まあ、致命傷とはいえず「ダメモト精神で本仕込、GO!」の診断を下した。ダンナ、おとなしくて優しそうな男だった。(女房の弘子はその100倍くらい元気で賑やか)。当方、こちらの弘子も内藤弘子に負けぬほど賑やか。早稲田ボーイの昌弘と弘子ダンナ、男二人がコソコソ何やら…。「早稲田OBで弘子被害者友の会を結成しましょう」と話し合っていた。