醤油麹は夜半より、いよいよ熱を持ってきました

 カビが出揃って旺盛に繁殖しはじめた醤油麹は夜半より、いよいよ熱を持ち始めました。やはり、私がよんだとおり、今夜(15日〜16日にかけた夜中)が山場の峠でした。麹は発熱を始めると、熱を冷ますために空気を送り込んだり、涼しい場所へ移したりしなければいけません。夜中、12時過ぎに麹をかき混ぜて熱を冷まし、涼しい場所へ移動させました。

 もう一方の仕込みたてのものは匂いがいよいよ変わってきました。ここが一番の勝負。醤油麹のカビが発芽してくれるか、してくれないのか?の賭けですよ。なにせ、相手は見えない菌の生命活動です。麹カビになるか、枯れ草菌に取り付かれるか、乳酸発酵してしまうのか?この三つのうちのひとつへの勝負時。この状態のものは無理やり温めたり湿度を与えたりせず、むしろ平静をよそおって、緩やかに温めて少しだけ換気を良くしてムレを防いであげます。醤油麹カビの赤ちゃんが生まれてくるか来ないかの境目ですからね。絶対安静の要注意体制なのです。産婆さんの目。

 ということで、私としてはめずらしく、真夜中の12時過ぎにマジな顔でこの事態をみつめているのです。家庭での手作り醤油の原稿を起稿中の豆本に絶対に入れたいのです。今、成功させておかなければ、時間的な意味で(季節、発酵熟成の期間、プロセスの撮影)原稿を作られなくなる。やはり、難しくても醤油だけは外せない。「豆尽くし〜日本のお豆さん〜」となると、単なる料理だけではなく、やはり味噌や醤油や豆腐も絶対にコテコテに入れたいですからね。発酵食の女王、種付けの女帝としてのプライドもかかっておるのじゃよ。これをやらなきゃ私の本じゃないからね。意地でも成功させてみせるぜ。

 豆乳や豆腐がお豆さんのおっぱいなら、そして、味噌がお豆さんの骨肉なら、…醤油はお豆さんの血なのです。醤油を含めて、このようなものを作ることの難しさ、そして、その奥底にある生み出す楽しさ(というよりは、ほとんど苦しんでいるのだけれど)、本当の美味しさ。これをみんな知らないから、平気で食べ物を粗末にするんだ。粗末にすることと、ホンモノならざる粗悪なまがい物の大量生産は、交互関係で存在してしまうと思うのです。私は醤油の1滴すら無駄に捨てたりなんかしないよ。購入するものでもペットボトルに入った1ℓ300円なんていう○○もどきなど買わないし。ちゃんと作られたものしか購入しないし。1本千円でも高いとは思わないよ、ただし、本物であるならね。買わせてもらえるだけありがたいとすら思う。そして、まがいものであるならば、1本300円でも高いと思う。 

 食べ残した天つゆとか醤油とかでも、ビンボ臭く大事にラップかけてとっておいて、後の食事できれいに食べ尽くす。ダシも醤油も身分・収入不相応なくらい良いものを使っているからね。平気でジャーッと捨ててしまう人を見ると、逆に貧しさを感じるね。あ、この人たぶん、自分の家ではろくなものを使っていなし食べてもいないなあ…と感じる。もし、ホンモノのだしや調味料を使って食べているのなら、その手間隙や美味しさや高価さを身を持って知っているものです。そうすると、粗末になんかできないからね。

 オバサン臭く口はぼったく言ってもダメなんだよね。まずはホンモノの味を食べさせて、それが手間隙かかったものであることを知ってもらわなければ。だから、教室では絶対に小言や説教臭いことは言わないのよ。ただ、だまって、もくもくと作り、食わせるだけ。ちゃんとしたものを食べさせるだけで、たったそれだけで、人は食べ物を粗末にしなくなるのです。でも、たかがパン教室。ここまでやる必要はなかったのかもしれないと、虚しい気分にもなります。

 この10年、少人数体制とはいえ、たくさんの人たちがキッチンファミリーになっていった小さなパン教室。何の感傷も未練もなく終わらせます。

 そんなことより、私は今夜、醤油麹の勝負時なのです。