ただの筋肉痛だった

 今日は朝から、右の肩と腕がとても重くて痛かったのよ。

 もう年だから、五十肩(正確には関節炎)かなとか思って。でも、もしかすると、内臓の病気かなとかも思って。

 パソコンもやりすぎないように、手も使いすぎないようにしようと思って。

 ちゃんと休まなくてはな…とか、思って。

 でも。

 午後になって、はっと気付いたわ。

 この痛み…炎症ではなく、ただの筋肉痛だと。

 さらに、気付いたわ。

 2,3日前の鉄火味噌づくりが原因のの筋肉痛だということに!

 屈辱的ショックよ。

 年取ると、筋肉痛は忘れたころにやってくる。(2.3日くらい、あとよ)。

 あのさ〜。ネガティブなことって、心配するだけソンよね。人間、死ぬまでは元気に長生きするようにできているものよ。そして、生まれてきたから生きているし、生きているから、最期には死という終わりも来るものよ。

 それならば、なぜに人間は生まれてくるのか…と言われれば。

 親が、つまり男と女が、どスケベしたせいよ。アンタが生まれて生きているのは、親のスケベのなせるワザ。今、生きているのは、そのおかげ。

 それを憂いて、どーする。心配しても、しなくても、ものの道理は必ず誰にでも順繰りにやってくる。

 生きているうちは、何でもラッキーと笑っていましょうよ。そして、最期があることも、とてもラッキーなこと。終わりがないことは、はじまりもないことで、とても虚しいとだと思う。終わりを知っているから、一生懸命に今を生きられるんだよね。生きているうちに始まる次の何かを期待できるんだよね。

 不老長寿なんて、絶対にイヤだ。バケモノのようで、想像するだけで気色悪い。その上、元気で長生きなんて、生命論理からしても、極度に矛盾している。元気に活動すればすればするほど、生命体というものは生命が短縮されるようにできているものだ。

 単に長生きしたければ、海底の砂に身を沈める貝になればよい。400年以上も、長生きしている貝の発見が複数報告されている。シェークスピアが、まだ、原稿を書いていた時代から生きている貝さ。

 さぞかし退屈な人生、いや、貝生であろう。

 嗚呼、鉄火味噌筋肉痛。

 あまりにもアホっぽいので、放っておきっぱなしでできちゃう料理素材を2品、ガスコンロまかせ。

 ピザソースと豚塩肉の酒煮。

 暖かくなると、ピザソースの用意が欲しくなるわ。トマト水煮缶とみじん切り玉ねぎ(今回はエシャロット)酢漬け、ローリエ、赤唐辛子、オレガノ、バジルなどのハーブ・スパイス、賞味期限ヤバしの黒オリーブ輪切りなどを鍋にぶち込んでガスコンロまかせ。

 その隣のガスコンロには、1週間ほど前から塩漬けしておいた豚肉を刻んでドボドボに日本酒を注ぎ入れて塩肉煮、これもガスコンロまかせ。

 忘れたころに、両方ともがっつりと出来上がっていたわ。

 ピザソースには、オリーブオイルとタバスコを混ぜ込み、できあがり。

 塩肉は、熟成のおかげで、キレイなピンク色に発色。これは、柔らかいのでスパムみたいな料理に使える。スープや煮物や炒め物に入れてもいいし。

 どちらも、ほとんど手をかけていませんが、とても美味しい仕上がりです。