ミキサーが本日夕方にやっと直りました

 日延べされてなかなか修理に来てもらえない20ℓミキサーに頭痛すら感じながら、それでも干物作りに精を出していた本日の午後。やっと愛工の修理の人が来てくれました。なかなかの大手術で、終わったのは夕方。修理作業そのものは痛々しくて直視できないほどの凄絶さでした。来たのは20代後半の若い男性。「わっ!古いな〜。僕が生まれる10年以上も前のものだ。こんなの見たの、これが2度目だ…。」

 この40年間、シャフトが折れなかったのが奇跡なのだそうです。ピザやさんなど、毎度バンバン折っていて、シャフト修理の常連さんなのだそうです。「20ℓミキサーのシャフトは折れるものなのですよ。」
 でも、初めてなら、かなりショックだったでしょうねえ…などと、同情してくれたけど、それなら6日間も放っておかないでよねー。この間の私の喪失感や不自由さや不安感は普通のものではなかったのですよ。「ええ、分かりますよ。最初は皆さん、そうですから」。やめて〜。こんなこと頻繁におきていたのでは身が持ちませんよ。最初で最後にしてほしい。「今まで40年も持たせたのですから、この後も40年は大丈夫でしょう。普通はこんなに持ちませんよ」。慰めの言葉をありがとう。今度、折れるとき、私は88歳になっている計算なんですけどね。「次回もよろしく。長生きしてください」。…・。余計なお世話です。修理のお兄ちゃんは「では、またお会いしましょう!」と、元気に帰っていきました。ああ、はいはい。88歳になったら、またお会いしましょうね。ありがとよ。そのとき、アンタも69歳だよ。定年退職になっていなければ、お会いましょうね。お互いに生きていればね。
 お兄ちゃんは「奇跡だ」「奇跡だ」「このミキサーは異常なまでの長持ちだ」と何度も呟きながら修理していました。「使い方というよりは、むしろ、すごく運がよかったのでしょうね。かなり珍しいケースです」とまで言っていた。「こんな古い機械をまだ使っている人がいたのかあ・・」とも呟いていた。彼は今日、稀有な体験と稀有な機械にめぐり会ったのだそうです。ここまで愛用したら、機械とはいえ一心同体なのですよ。モーター音の微妙な変化ひとつで、ミキサーの調子やミキシング具合が分かる。私のミキサーはモーター音がとてもキレイなのです。人間で言えば心音みたいなものです。ラバーベルトやスピンやギアの調子までモーター作動音で分かる。パン生地の発酵のスタートはミキシングが全てなのです。どんなにパン種の調子が良くても、ミキシングが適正でないと良い発酵には持ち込めない。パン種が重要であると同時に、ミキサーの作動も連動させて同様に正常でなければ、良い発酵には持ち込めないのです。もはや、自分の手以上に私の手であり腕であるのです。
 ミキサーが復活して本当によかった。心からほっとしました。今夜から安心して眠ることができます。
 どういうわけか、写真は秋刀魚の溜まり漬け干しの下漬け写真です。

今シーズン初の豆味噌づくり

 冷蔵庫の野菜室で半年間も寝かせていた前シーズンの自家製採取した麹菌が、ずっと気になっていました。
 秋風を感じたので、早々に発芽実験。木曜に種付けしてみました。翌日には元気一杯に白いカビが発芽し、本日で三日目。大成功です。我が家の麹菌たちは半年の眠りから覚めて復活!生きていました!!
 たぶん、本日中に全部がビロードのようなウグイス色のカビに覆われることでしょう。今シーズンの種取りができます。

 鈴乃家との豆味噌商品企画にバリエーションを持たせるべく、豆味噌を使った商品も企画中(というか、試作中)です。
 只今、凝っているのが秋刀魚の豆味噌漬け干しと溜まり干し。これは大漁で店頭にあふれている秋刀魚を自家製豆味噌や豆麹の醤油漬けに漬け込んで天日干しした干物です。焼くと味噌漬け干しは味噌の香り、溜まり干しは醤油味噌の香りがぷーんと立ち昇り、生唾ゴックンの食欲をそそります。

 みりん干しや塩干しはあるのに、味噌干しってないみたいなのです。(どこかにあるのかもしれないけれど)。味噌味の干物をいろいろあみだしているのです。味わい豊かで濃厚な味の豆味噌なら、味噌の風味と旨味がますます生きます。
 味噌漬け干しって、焼いて冷めても全然生臭くならないのです。味が落ち着いて、逆にもっと美味しくなるほどです。まとめて焼いて、冷蔵庫に入れておき、翌日も冷たいままで平気で食べています。(実は焼きたてよりも、こっちのほうが好き)。冷えても美味しい干物はありがたいです。弁当のおかずにも向きます。
 味噌使いの幅を広げて、豆味噌の用途を知ってもらうつもりです。函館・自由市場の干物店、和田商店のオバチャンにも送ってあげたいなあ…。魚はやっぱり北海道だもんなあ・・。鈴乃家相手なら北海道の海産物も流通がある。(ただし、根室のほうみたいだけどね。函館びいきの私としては、函館の海産物のほうが口に合うのですが)。

 前シーズンに仕込んだ豆味噌が、そろそろ食べ頃を迎えようとしています。早く自宅教室を再開させたい。作ったものを食べてくれる人たちがいないのが寂しいです。(先日なんか我慢できずに「純子、アップルパイ作ったから取りに来い」などと、呼び寄せてしまったもんね。修理待機の自宅軟禁状態だったから)。

 味噌漬け干しの作り方は、味噌、みりん、酒、(好みで砂糖少々)、しょうが、唐辛子を混ぜ合わせた味噌を魚に塗りつけて2,3日味を馴染ませ、洗った後に朝から夕方近くまで天日干しするだけです。焼くときは焦げやすいので200度くらいの遠火がいいです。
 干物作りは脂ののった旬の魚よりは、旬が終わるころの脂が減ったもののほうが本当はいいのです。干物は枯れた味が身上。ギトギトの脂は邪魔なのです。ですから、干物作りはこの後が本来的な本番。塩焼きにしても美味しくない脂の切れた魚を活用してください。

修理待ちの待機状態から、やっと開放されそうです

 パン捏ねミキサーのシャフトぽっきり折れ災難から本日で4日目。明日の午後にやっと修理が入ることになりました。
 心の底からほっとしました。これで、またパン作りができる…と。

 25年近くもやってきて、シャフトが折れてパン作りができなくなったのも初めてですし、実は初めて自分が心底、製菓製パンの作業が好きだったことも気づきました。作っていないと自分の何かが喪失されている。心身の一部になってしまっていたようです。

 普段は目や鼻や手や足があるのがあたりまえで、そんなことには喜びも感謝も感じないことでしょう。でも、もし、あって当たり前のものが無くなったら…。それはそれは、けたたましいまでのショックと喪失感と絶望感と不自由を味わうことでしょう。失ってから、やっと、はっと気づけば、大切だったもの、大好きだったものだった。そんなことに、あるうちは気づいていないものなんですねえ。
 私はこの間、自分の右腕が無くなってしまったような喪失感と絶望とショックに見舞われていました。たかがパン作りが自由に作れなくなったというだけのことなのですが、四半世紀もの間、仕事や生活の身の一部になっていた私にとっては、たかがそれだけのことでも重大な事件でした。

 「好き」というのは愚かなことです。でも、すごいことだと感じました。好きという感情には理由もないし、打算もないのです。非論理的で不条件なのです。これほど不条理な感情はありません。そして、これほど愚かな動機もないです。でも、理由がないという愚かさほど、素晴らしいことも他にないですね。なんだか、愛に似ています。

 好きがこうじれば愛になり、愛なんて、好きも嫌いも期待も諦めもクソもミソもごった混ぜの一緒くたになり、愛してしまえば全てを受け入れる器になるだけなのでしょうね。器というものは空っぽでなければいけない。器の価値はその空虚さにあるわけです。おおっ、なんだか古代中国の孔子と老子の哲学説話みたいになってきたぞ!そういえば、孔子だったよな。器の本質はその空にありと説いたのは。孔子は器の大切さは器を支える底にあり…って言ったんだっけ。まあ、いいや。たかが愛工のミキサー修理の話で、哲学していちゃあかん。(ゆくゆく暇人だよなあ)。

 まあ、つまり、わたくしは、やっと自分の恋心や、それがこうじた愛心に気がついたわけなのですよ。恋は欲情という空虚ならざるものが存在するが、愛はその欲すらも存在せずに、まったくの空なのでございます。空とは存在の不条理そのものです。そして、空こそが、愛なのであ〜る。空は喰うに通じる。相似像学的見解。(しみじみ、アホだ)。

 この数日間で、私は教室を2ヵ月半ぶりに再開することを決意しました。人生の不条理を糊口の生業に昇華させるという非社会的動機もさほど悪くはないと思う昨今です。

地獄に仏の愛工舎でした

 仕事に不可欠のミキサーのシャフトを折ってしまい、うじうじと涙に暮れていた日曜日から本日まで。
 ダメモト精神100%諦め気分でメーカーの愛工舎に勇気を出して連絡を入れてみました。40年前製造のものなんか、もうダメといわれるのを100%覚悟の上でです。

 驚いたことに、なんとまあ、半世紀もの前の部品まで、ちゃーんとあったのですよ〜、愛工舎に!信じられないことに…修理できる…のだそうです。

 シャフトが折れたのも「嘘みたい」とか思ったけれど、修理できると聞いたときも「嘘みたい」」と思いました。修理代も恐れていたほど高額ではない。頑張れば払える範囲です。諦めずに、わが道を進もう。そのあとの保障は、まあ、ないけれど。私の人生は、まあ、こんな感じのもんです。しょうがないですよ、我が身の運命ですから。でも、悪いほうではなく、良い方向へ向かいそうで良かった。
 ともかく、私はここにいますからね。

パン捏ねミキサー大災難

 我が家の年代モノお宝ミキサーがついに壊れてしまった!パン生地を捏ねている最中に、ポッキリ!と回転主軸が折れてしまったのですよ〜。あの、太くて頑丈な鉄の塊が、ポッキリと…。アア。エ〜ン!ビエーン!
 まさかまさかまさかまさか、折れるかよー。うそでしょー…という気分でしたね。日曜日の出来事でした。立ち直れない。

 製造年代は何と昭和42年。つまり、私が9歳のときに生産されたものだった。ということは、40年近くも働き続けたミキサーだったんだあなあ。怖くて愛工舎にすら修理の問い合わせができないのです。「修理できません」と、きっぱりと言われるのが怖くて。製造年代を見て修理不可能と悟った次第です。私の代で25年くらい使ったからなあ〜。よく働いてkれたなあ〜。ああー、愛着と未練がたらたらた〜ら。うじうじ。

 金属疲労っていうやつでしょうね。太い鉄の軸が折れるのを生まれて初めて見ました。なかなかショッキングな光景でした。
 でも…直んないかなあ…。(ほらね、未練ったらしいでしょ)。私、長年使った古いものほど手放せないんだよねえ。古ければ古いほど好き。(これがこうじて骨董品好きの人間なのですよ)。

 パン教室を再開しなければと考えていた矢先の「大事件」でした。なんとかならないものかと、イイヅカの大島さんへSOSのメールを入れておいた。「新しいのを買え」と言われるでしょうけれどもね。まだモーターは健全に動く。フックの接続軸が折れただけですもの。直せないかな〜?
 以前、パン屋さんから、20ℓミキサーでパン生地をこねると軸が折れるよ、と聞かされていた。その時は信じられなかったけれど、本当だったのねえ。直すとメチャクチャ高くつくとも聞かされた。そのパン屋さんは20ℓミキサーを諦めて30リットルミキサーに買い換えたんですって。

 どのみち諦めなければいけない機械なのでしょうが…やはり残念無念です。名残惜しくて、写真に収めておきました。

秋晴れ連続4日め

 よほど乾いた日の光に飢えていたようです。(1ヵ月も立川ルミネの地下にこもっていたのだから当然かもしれない)。晴れ渡った秋空がメチャクチャ嬉しい。体が喜んでいる。お布団を干せたのが嬉しい。押入れの整理をして冬支度ができたので安心。大根と干物の魚が乾くのが楽しみ。(実に能天気でオメデタイ人間である)。
 でも、今日こそは店に行かなきゃね、ヤバイですよ。パンも尽き果てていることだろうし。ああ、地下生活者。お天道様のもとに、ずーっといたいのだがね。

 秋晴れを有効資源として活用するために、今後はなるべく店をサボり、干物作りと豆味噌作りに精を出そう。はっと思いついた。農文協のビルの屋上を干物の干し場に占拠してはどうだろうかと…。あの屋上は職員の「趣味の園芸畑、こだわりの圃場」となっている。赤坂のビルの屋上に、あんなすごい畑(?)や田んぼがあるなんて、誰が想像できよう。(隣のコロンビアレコードビルの人々からは見えるだろうけれど)。田んぼでは合鴨農法をやっていたらしいが、結局は共存が難しかったらしく、しめて焼いて食ってしまったそうだ。鴨もいなくなったことだし、代わりに干物をなびかせるというのはどうであろう。日の光あふれる屋上で、畑や田んぼに囲まれて、魚の干物作り。これこそが、地下生活から脱却できる唯一の打開策のような気がしてきた。
 あ、時間だ。さあ、店に行く準備をせねば。本日の荷物は重い。

秋晴れが嬉しい冬支度の水屋です

 お休み三日目。久々にお布団を干したり、押入れの中を整理して冬物を出したりしながらのチンタラ原稿書き仕事。いや〜、やはりいいですねーマイペース。

 糠みそ漬けの床に蒸したかぼちゃを混ぜ込んで、冬の漬物の「かぼちゃ漬け」の漬け床を準備。これからは大根干しだ!徳島から山ほどスダチが届いているので、1年分のスダチ(ポンズ)絞りもしなくてはあきまへん。偶然、たずねてきたトシさんに無理やり半分押し付けて「自家製ポンズを作れ」。(これで私の労働が半分に減った)。

 ここのところ教室への問い合わせとお申し込みがやたらに多いのだが、どれにもまだ返事は返送していない…。再開のメドがなかなか立たないから。困った。早い話が、店からまだ離れられない。体がふたつあればいいのだが。思い悩んでいると、潤ちゃん店長いわく「店の厨房で料理教室やれば?」。なんと、受講料を取ってパンや料理を作らせて「店で売っちゃおうか」…とな。ははははは!なかなか合理的である。ともかく我々はまともなことは何一つ思いつかないが、おバカなアイディアだけには事欠かないのです。厨房のドアに「林弘子料理教室・立川ルミネ分校・第二教室」なんていう看板貼り付けようか?などとも…、苦し紛れに考えたりして。(アホ)

 しかし、三日も店を休むと(実質的には昨日1日丸々休んだだけだけど)さすがに店のことが心配になってくる。昌弘が、たった一人で厨房で奮闘しているはずだ。今日はこの後からちらっと様子を見に行ってみようか。今日はみかも三連休明けで出てきているはずだし。トシさんが、店のディスプレーに使えるかもしれないと言って京都の竹ザルを持ってきてくれたし。明日は昌弘がお休みで、池袋店オープン明けの潤が三日ぶりに店の厨房に入る。たぶん、疲れているんじゃないだろうか。心配だ。睡眠不足を続けているんだろうなあ…。

魚の干物作り

 やっと爽やかな秋晴れ。そして、昨日、今日とお店を休んで久々の本業仕事。嗚呼、それなのに、私のまりもっこりくんが、ご昇天してしまった。もっこりが股間に戻らない。ブルブルもしなくなった。再起不能だ。しかし、農文協のまりもっこりくんたちは、今頃元気一杯にブルブルしていることだろうな〜。(おーい、五十嵐さん、吉元さん、会社のみんなにまりもこりをちゃんと見せびらかしているかい?)

 ということで、やむなく今シーズン初の魚の干物作りに取り掛かったのです。元々は昨日の撮影の企画だったのに、その直前まで空模様は最悪。干物作りどころの騒ぎではない波乱万丈のお天気でした。きゅうきょウスターソース作りに変更して、魚の干物企画は断念。お流れとなりました。

 キムチ干し、ナンプラー干し、アンチョビー干し、挙句の果てはジンギスカン干し。到底まともな干物とは思えぬような無国籍風の干物たち。

 キムチ干しはキムチ漬けにした秋刀魚を干します。ピリ辛の味が秋刀魚にぴったり。ナンプラー干しはどんな魚とも良く合うのです。アンチョビー干しはアンチョビ作りで出てきた汁(発酵している魚の塩汁)に魚を漬け込んで干す匂いのきつくないくさやの干物みたいな感じのもの。ジンギスカン干し(?)はジンギスカンのタレに鯖などを漬け込んで干します。これは竜田揚げの焼き物みたいな味でなかなかいける。流すにはあまりにも惜しい美味しい(臭い)企画だったのに。空模様には勝てません。たぶん、農文協の連中が雨オトコ雨オンナなのだ。あの人たちが関わる企画は大概いや〜らしい空模様になるのだよ。(この前の取材の日なんて史上最悪だった。暴風雨に、落雷に、停電に、電車ストップに、その上、大粒のヒョウまでもがバラバラと降り、地獄の黙示録農文協バージョンのようだった)。

 お店でも、干物を作って玄米弁当のおかずにしたいのだけれど、厨房には干す場所がない。なにせ、地下ですからね。駅ビル出口と伊勢丹をつなぐ外のアーケードつき通路。あそこに魚の干物や大根を干せないものだろうか?雨が降っても大丈夫だし、どうせ何もないスペース、風通しもよい。ホームレスのおじさんやおなばさんが自由につかっているのだから、私たち「たくや・なにや?」にも使わせてもらえないだろうか?駅前の殺風景な風景が、ぐっと農村漁村的のどかムードになり、かつての軍都・立川市のイメージアップにもなるのではないだろうか。これからは自家製漬物の沢庵漬けも始めたいと店長の潤ちゃんも申しておる。(どうせ、作るのは私なんだけどね)。大根干しのためにも、ぜひとも、あの伊勢丹前のスペースを有効活用したいものである。「故郷立川市。日本伝統の原風景は立川駅前にあり!」JR協賛…・。
 なんていうこと、できるわけないよな〜。アホなことを考えていないで、真面目に原稿書きをやらなければ。(今のところ、伊勢丹前のスペースは、干物作りで使えるメドが立っていないので、やむなく庭で魚と大根を干しています。)

久々に本業

 本日は3ヶ月ぶりに「うかたま」の撮影でした。魚の干物を予定していたのに、天候不順で急きょ変更。でも、なんとか、うまく済ませた。楽しかった!
 農文協関係者みんな、立川ルミネの店に陰ながら「客」としてぞくぞく参上してくださっているようで、…すんません、平に伏して御礼を申し上げる次第でございます。(本当にどうもありがとうございます)。

 で、その立川ルミネ店のほうなんですけれど…。この2,3日間は悲惨。厨房の私、みか、潤は揃ってお休み。
 私は本業の原稿書き。店長の潤は本日新開店の池袋店舗へと。みかも、どういうわけか同日に3連休。厨房の留守を守るのはマサヒロ一人…・。私は9月中に要求されていた仕事を断りぬいて、やっと10月の初旬まで引き伸ばした。たぶん、10月に入ったら、店も、もう大丈夫だろうと思って。でも、やはり、10月でもやばかったようです。まさか、厨房3人揃って同時に休みを入れているとは思ってもいなかった。(マサヒロに気の毒です)。新開店の店は本日、やっと晴れた空の下で、たぶん客入りも盛況のことであろうと期待している。(潤ちゃんはたぶん疲れているだろうけれど)。

 いろいろな私の試算から、経営上の視点では開店当初から絶望的な気分になっていた立川店。今も潤ちゃんを見ていて切ない。私は彼に地獄の底まで付き合うしかない。開店前から、わかっていて、二人でそう決めていた。地獄の底まで二人で頑張ろうねと。あなたもバカだったけど、私もアホだよねと。笑えます。なんだか、本気で笑っている。潤は潤で同時に池袋の店の同時進行、私は私で鈴乃家との企画を進行中。背に腹は変えられない。私も潤も。潤は池袋で開店した、私は私で長野県方面での複数の場所での新展開になる予定。今は具体的にはなにも書けない。(一応「企業秘密」ということで…。ははは!)。
 先はある。たくさんの楽しみを想像しながら、目の前に山積した課題を一個一個クリアしていくだけ。立ち向かうべき課題があるということは本当に幸せなこと。目の前のしんどさや辛さが、嬉しくて、楽しくて楽しくてしょうがない。なんだか、すごく幸せなんだよねえ・・。絶望的な状況なんだけど、失望はしていない。絶望から、次の課題やアイディアや企画がどんどん生まれてくる。ああ、もうダメ…と思ったら、次の方策が否が応でも生まれ出てくる。いくらでも、どんどん、生まれてくる。
 そういったものは、本来、生まれたくて生まれたくてしょうがなかった潜在的な「いのち」みたいな存在なんですよ。生まれたくてしょうがなかったものは「生きたい」ものです。
 生みの喜び。今は痛くて辛くて逃げ出したくてしょうがないほどの苦しみだけれども、生んでしまえば生きたいものは育つ。命あるものは全てより善く生きるという方向性に位置づけられているから。
 我が身の脳細胞が、いや、女の細胞かな(?)、むくむくと増殖していくのがわかる。むずむずと気持ちよく、くすぐったいです。

 鈴乃家の社長には全部バレバレで見透かされているようだ。「今のこと、絶対に何の無駄にもならないからな、だから、頑張れ。しんどくっても、今、頑張れ。後から、絶対に役立つからな。でもなあ…、でも、仕事なら、ちゃんと設けような、ちゃんと仕事した分くらいはな。みんなで、ちゃんと儲けようなあ〜。一緒にやっていこうな」。開店当初の鈴乃家のオヤジのエールが、やけに切なくありがたく身にしみている弘子です。

なんとなくストライキ二日目

 いろいろなことが積み重なって、ヤベ〜という気分になって二日目。さすがに、昨日は丸一日、店に顔を出さなかったので、本日は気になって昼過ぎ、午後から店に闖入。
 やはり、店は、なんとなく、どよよ〜ん。はちゃー。
 午前中から、すでに潤から電話あり。「お体、大丈夫ですか?」(大丈夫じゃねーよ)「ええ、はい、もちろん大丈夫ですよ」。「お疲れになっているのでは?」(あたりまえだろ、あなたのせいよ)「いえ、全然平気。元気です」。
 厨房ペアのマサヒロとみかだけは全てを察知している。笑顔を見せながらも二人とも何となくしんみりと上目遣い。ははははは!
 店の厨房にパン生地を置いて、富沢商店へ買出しに急ぐ。毎度のことながら、パンやお菓子は全て自前の自腹きり。そのくらいじゃなきゃ店はもたない気分。パンプキンのパイを作ろう。明日のスペシャル。もう、そんな季節だよなあ〜。ちょっと嬉しい気分になってきた。おっ、いける、いける。まだ、頑張れる。塩味のお惣菜パンプキンパイにしよう。フィリングをたくさん仕込んで、パイに使うほかに、パンプキンコロッケにしようね。
 仕込みながら、潤ちゃんに長々とメールを書き送った。今、ぎりぎりの瀬戸際にいるあやうい潤に。向こう側に落ちないで、行かないで、空っぽにならないで、お願い、まともな人間でいて。祈るような気持ち。今が瀬戸際。また腰がぎっくりぎっくりしてくる。

 逃げないで、お願いだから。今、逃げたら、あなたはここだけではなく、あなたの抱えている他の事業やプライベートな生活や生き方に、長期的な負荷をおうことになる。足元の問題は他の事業では解決できないのよ。目の前の数字に負けてはダメ、逃げてはダメよ。
 ここまできたら、地獄の底にまで付き合うしかないけれど、かなりヤバイ状態の潤と、あまりにも辛い私がいる。明日、潤はいるのだろうか?