本日はお教室でございます

  朝6時、まだ、空は暗いのですが、朝やけがほんのり紅色。よいお天気になりそうです。本日はお教室です。お気をつけていらしてください。

 宣告どおり「ドングリパン」第二弾!を行います。ドングリ、雑穀(キビ・アワ・ヒエ・ソバ・オオムギ・黒米)、クルミ、ゴマ、クリの入ったグラハムブレッドをアエイーシの配合で平パンにします。森のパンです。

 グラハムは超粗挽きのザラザラの全粒粉です。これは予め水に浸して柔らかく戻してから配合します。(そうしなければ、硬くて食べにくくなるのです)。

 あっという間に、空が白んできました。今日も、青空になりそうです。

 発酵液体物(?)のお供は「大根餅」です。国分寺の大根が太ってきました。国分寺の畑は、なぜか冬野菜が美味しい。ついでに、畑の周りの森林のドングリも美味しい。

ケータイ干し梅干し

 昨日のシトシト雨降りとは打って変わって晴天の朝。

 庭の草木に残った雨粒がキラキラ光り輝いていて、洗濯物を持ったまましばし見とれてしまいました。

(もちろん、そのあとから真珠のような雨粒をザバッと払いのけ、パンツや靴下を干したんだけど…。)

 夏から、ずーっと乾燥させ続けていた梅干し。カラカラのスッカラカーンに乾きました。乾燥梅干しにしてみたかったのです。ケータイ梅干し。
 取り込んだ後から、念のために低温(100度)オーブンで20分ほど空焼き。(これは殺菌の意味もあるのですが)。飴玉のように締まった梅干しになりました。
 ポケット菓子の乾燥梅干しみたいにはならなかったけど、口に1個放り込んでしゃぶっていると、酸味が爽やかです。山歩きや長時間ドライブにいいでしょ。疲れた時にシャキッとします。

 で、ひとつ気づいたことがある。

 長期間の天日干し乾燥に耐えるのは、無農薬の梅だけだったということ。農薬を使った梅は、どんなに高級な大粒の南高梅でも、種と薄皮だけのシロモノに干からびちゃって、果肉の形が残らないということ。(つまり、何も残らないのも同然でした)。

 ということで、干し梅干し、成功したのは森本さんが送ってくださった無農薬栽培の梅で作った梅干しだけで、そのほかの高価な南高梅の梅干しは全滅しました。夏からのお日様や風に耐えて干し梅として姿が残った梅干しは…エライ!

しとしと雨降り

  師走の雨です。干し柿がまだ乾いていないのに雨。さつまいもは乾いた。干し梅干しというのも出来上がった。(これは梅干しをカラカラに乾燥させて、ケータイ梅干しにしてみようという魂胆だった。ほら、よくあるでしょ、ポケット菓子みたいな梅干し。あれを作ってみたかったのよ。夏から今まで干し続けたわ。お天気良くなって光量が十分になったら写真撮りますね。ケータイ梅干し、山歩きの人などにいいかな…と思って。)

 本日から真面目に原稿の手直し作業。これをやらなきゃ初校のゲラを編んでもらえないから、原稿書きっ仕事の中でも一番肝心要の作業。キリッ!(褌締め直している音)
 週末までに書き直さなきゃ、ぼやぼやしてたら年越しちゃうしねえ。シトシト雨は原稿書き日和です。

 残りわずかだったドングリもアク抜き水に浸水したし、たくさんの味噌玉も景気良くコウジカビを生やし続けている。ハスカップのシュトレーンも焼き上げたし、縄文ドングリパンも焼きあげて写真も撮り直せたし。あとは、まじめに仕事するだけだ。

 キリッ!(褌をさらに締め直している音。締めすぎると切れることがある)

写真、撮り直したよ

 本日、早朝に、レフ使いまくって露出いじって撮った写真が不自然だ。あまりにもヒドイので、お日様が高く昇って光量十分になってから自然光で、また、撮り直したよ、ドングリパン。

ドングリ、ゴマ、クルミ、雑穀、ソバ粒、オオムギ、古代米、粗挽き小麦(グラハム)、自然発酵種の平パン。

 縄文クッキーに近い材料。(クリは季節がら、もうなかった。あと、イノシシの血が入ればパーフェクトかな…。ただし、これはカンベンしてくだせえ。)

 先ほども書いたけど、縄文クッキーから検出された「酵母」というのが気になる。蜂蜜や野生の果実などが加われば、付着している天然酵母のせいで、簡単に発酵してしまう。たぶん、わざと加えたのだと思う。生地を発酵させて気泡を持たせ、食べやすくするために。

「クッキー」と言うよりは、モチや団子やパンに近い主食だったであろうと推測しています。上記材料を捏ねて焼くだけなら、クッキーというよりは石に近いものになってしまって歯が立たない。煮て柔らかくしたものに、つなぎとして野鳥の卵や動物の血液など、加熱すると固まる成分を加えて焼いたのでしょう。これに酵母が加わると、発酵して気泡を持ち、かなり食べやすくなる。
 もし、クッキーのように歯で噛み砕ける状態にするのであれば、かなりの量の油脂の配合が必要になる。しかし、人為的に加えられた油脂は検出されていないようだ。
 ということは、やはり、酵母の発酵でフワッとさせて、食べやすくしていたとしか考えられないのです。
「縄文クッキー」は、クッキーではなく「縄文ドングリパン」だったのだと思います。考古学者が、パン作りとクッキー作りの材料や配合の違いや、作り方の違いを事細かに知っているとは思えないです。そういうことに関しては、たぶん私の方が詳しいはず。専門ですから。

 先にも書きましたが、自然採取の主食ドングリと同時に、米や麦の原始的な農耕も始まっているので、採取と栽培作物が主食の中に共存していたとも考えられます。

 野生動物の獲物が狩猟できない日もあったことでしょう。でも、「縄文ドングリパン」この栄養素豊かなパンがあれば、狩猟できない日も栄養源には困らなかったはずです。コメやムギなどの食味のよい穀物よりも、縄文ドングリパンのほうが、栄養面では各段に上です。ほぼ完全食と言ってもいいでしょう。

 ビタミン、ミネラル、脂質、タンパク質、カロリー、食物繊維、すべてにおいて、とても優れた主食パンだと思います。見た目は悪いかもしれませんが、本当に美味しいんですよ。硬そうに見えるかもしれませんが、水分配合が多いせいで、意外にしっとりしていて食べやすいんです。

 今度の教室…ふふふふふ。「縄文パン」やろうぜ。で、イノシシは、どーする?

 バイオマスエタノールも、サトウキビなど使わずに、ドングリのデンプンを使えばいいのにねえ。農薬も要らないし、放っておけば実る。あちこちにブナ科の木を植林して。ドングリいっぱい拾える森や林が増えるかもよ。

まだ、やってんのお?「ドングリパン」

 初校ゲラ前に、原稿を手直ししなければいけないというクソ忙しい時なのに、豆味噌用の大豆は蒸しているは、ハスカップ入りのシュトレーンは16本も仕込んでいるわ、挙句の果てに、まだ、ドングリパンに執着しているわ…。

 で、原稿、どーよ?…。はあ?

 最終氷河期以降の植物分布を調べる。ブナ科ドングリの広葉樹林の発達は、やはり1万年前くらいからと考えるのが妥当か?ドングリの主食と農耕作物は、当時はまだ共存していたのかもしれない。
 縄文時代の「炭水化物加工品」(つまり、パンかモチかクッキーみたいなもの)分析を調べる。ドングリ、雑穀(アワ・ヒエ・ソバ・オオムギ)、イノシシの血、鳥の卵、クルミ、クリ、ゴマ、そして、酵母。

 氷河期が終わって温暖化すると同時にナウマン象やマンモスなどの大型動物が滅んで、猪や鹿などの中型動物が出現しているねえ。でも、それまでは、北海道・サハリンが、まだ、ユーラシア大陸の一部とつながっていて、日本列島も大陸だった時代だね。

 炭水化物加工品の原材料を見ると、なんだか、今の私の食材と大差ないような気もするんですけど…。使っていないのはイノシシの血くらいですねえ。まあ、これも、OKストアーに行けば猪肉を買えるから、やってやれないことはないんだけど。(何もそこまでやることはないし)。
 「酵母」というのが気にかかる。まあ、材料が材料なもので、自然発酵してしまった食材を使ったのでしょうが、・・でも、それとも故意に加えたのかな?故意に加えるのであれば、ますます私と同じじゃないか。わたしゃ縄文人か?

 同じような材料を使って、エジプトのパン・エイシの配合で平パンを焼いてみました。香ばしくて美味しい…。(どんな味覚をしてるんだ?)

 ドングリ主食と栽培穀物は、共存していたに違いない…と思えてしょうがないですねえ。ちなみに、アズキ、ダイズもすでに栽培していたようです。わたし、進化していないのかもしれない。

今シーズン最後の醤油採り

 今年の晩秋に完成した昨年仕込みの豆味噌から、最後のしょうゆ採り。最後の最後に、ほんの少しだけ、200ccくらいいただきました。

 で、この後は、また来年の秋までは自家製醤油はあたりません。豆味噌として食べちゃうし、あちこちにお歳暮代わりで送っちゃうから。醤油を採りすぎると豆味噌の水分が少なくなって風味が落ちます。だから、これで、限度かな。
 秋から冬まで、ずいぶんとふくよかな味の香り高い手作り醤油を楽しませてもらいました。ありがとう、豆味噌さん。エライよなあ…。
 豆と塩と水だけで、醤油になってくれて、味噌になってくれて。日本の大豆、大事にしましょう。宝物ですよ。

 シーズン最後の醤油採りには、しみじみ手を合わせて拝んでしまう。みなさん、日本の豆力を廃れさせることなく、存続させましょう。大豆畑よ、永遠に…なんちゃって。自然発酵種パンづくりファミリーの意地をかけて、味噌も醤油も漬物も、諦めることなく手作りを続けるのだ…。いつか、その存続の価値を世間様に分かってもらえる日がくるかもしれない(なかなか来ないけど)。こんな美味しいもの、なくしちゃダメだよ。日本の味は大事だよ。美味しいって、とても価値あることなんだよね。

 この後から1年間は、醤油採りではなく「豆味噌」として、美味しい味噌汁や味噌料理になってもらいます。まあ、味噌としては、このほうが本望でしょうか…・。

 醤油採りを終わらせる頃になると、来年の醤油と豆味噌のための仕込みに入ります。手前味噌とはよく言ったもので、1年先のものを今作るんですよね。来年の話をすると鬼に笑われると言われますが、わたしなんざあ、年中鬼に笑われっぱなしだわ。

 だいたいにして、本づくりだって、完成はうまくいっても1年先だもんね。何年もかかるものもあるし、どんなに頑張っても闇に葬り去れれる原稿の方が多いし。虚しくなるけど、でも、諦めないと、少しだけなら形になって残るしね。1%の可能性を自分自身で大事にしよう。99%の可能性の方は他人様が大事にしてくれるから、シカトしておいても平気だぜ。
 

麹カビの生えた味噌玉豆味噌から種を採取

 土曜日の教室で、コウジカビの生えた味噌玉の表面から麹カビの胞子(花粉)を刷毛で落して、今シーズンこれから本格的に仕込み始める豆味噌用の種麹をゲットしました。大豆1k分の味噌玉から、小さじ2くらいの種。これで、この後は10kくらいの大豆を豆味噌麹(=味噌玉)にできます。

 種の集め方は教室でもやりましたが、出席できなかった方のため、念のために書いておきます。教室で作ったみなさん、そろそろ種採りしてくださいね。

 まず、大きめのポリ袋を用意して、その中にカビの生えた味噌玉を置いて、袋の中に手を入れて刷毛でカビを落とします。胞子は小さいので空中に飛んじゃうんです。ポリ袋の中で行うのは飛び散ってしまうのを防ぐためです。種を採ったあとの味噌玉は、あとは普通に豆味噌として塩水に漬け込みます。

 前回の少量の豆味噌の味噌玉作りは、いうなれば今シーズンのための「種採り」のようなものです。パン作りで言うなら、中種の種継ぎみたいなもの。今シーズの新鮮な種(麹カビの胞子)をゲットいたしましたなら、いよいよ本格的に仕込みを始めます。

 昨日、今日で5kの大豆を味噌玉にしました。12月上旬に10kほど「早生」で仕込む豆味噌は「溜まり醤油」を取るためのものにしています。醤油づくりは1年ほどかかりますからねえ…。

 北海道・yuukoさんの妹さんも、豆味噌づくりに初挑戦です。豆味噌ファミリーも確実に広がっていく。嬉しいですね。(妹さんも写真やってらっしゃるようです。昨日のブログのコメントのURLをクリックすると拝見できますよ)。

 あ、そうだ、yuuko妹さん、動物って、野生木の実のタンニン(アクとか渋)を分解する酵素を備えているらしいよ。だから、アク抜きとか渋抜きとかしなくても何でも食べられちゃうみたいです。面倒なことやらないと食べられないのは、人間だけみたいです。そーいえば、リスさんんもノネズミさんもクマさんも、みんな平気で、そのまま食べているもんねえ。それを忘れて、そのまま渋柿やドングリ食った私は何者なのか…?早く人間になりたい。

 さてさて。12月のパン教室も残すところ15日と22日の2回となりました。29日はお休みです。(おせち作んなきゃいけないもんね)。来年の開始は1月5日を考えていますが、早すぎますか?

真っ赤だな〜…

 では、干した渋柿は干し始めて何日目から、食べ始めることができるのだろうか?

 毎日、1個、一口ずつ味見してみて、○日目でOK…というのが分かればいいけれどなあ。(これも知らない)。

 本日、二度目の○○○は、めでたく通常の安心色でございました。いつもの色が、これほどまでに愛おしく、安心できるものだとは知らなかったねえ。やはり、地味な色合いのものが安心できるものですねえ。わたし、やはり、ドングリ色って、好きだな。

 ちなみに、ドングリの茶色も、鉄を媒体にして、紺色や黒を出すこともあると、以前何かで読んだことあるんだけど。

 しかしなあ…、紺色や黒が出てきても、やはり、すごく焦るだろうなあ…。

 いやはや、尾籠な話で恐縮でございました。失礼いたしやんした。ご心配おかけいたしました。ははははは!笑って忘れてくだせえー。

柿渋の赤ってすごいんですねー!

 昨夜、徳島から送られてきたさつまいもや渋柿を干して乾物づくり。干し芋は娘の好物。干し柿は甘味出しに漬物やソース作りに使います。

 干し芋は粉を吹かないベチャ芋で作るものなんですって。そういえば、北海道では、はぜないベチャっとした不味いカボチャで干しカボチャ作ってもらって、おやつにしていたわあ。北と南、違う素材ですが、同じようなことやるんですねえ。

 生まれて初めて渋柿で干し柿を作ってみました。むいた皮も捨てずに干しています。これを漬物に使うと、すごくきれいな色に染まるのです。

 柿渋。赤く染まるのは知っていたのですがね。私、自分の体の中まで染まるとは知らなかったのよ。
 あまりにも美味しそうなので、わざと渋柿を夕べ食べちゃった…。そして。

 毎朝、お出になられるものを拝見いたしましたとき、わたしゃあ、もー死ぬのかと思いましたのでございますよ。

 ♪真っ赤だな、真っ赤だな〜カラースウリって真っ赤だなー、ひろこの○○○も真っ赤だな〜♪がっちょーん!ショッキングな色。

「ビョーキだっ!て、て、てーへんでい、てーへんでい!」と思った。で、あとになって、はっと気付きました。「渋柿のせいだ…。あの色は血ではなかったのだ。柿渋色だ…。」ほっとしました。

 ドキッとした瞬間に、私の心臓の寿命は確実に3年は縮んだね。みなさん、好奇心があっても、渋柿をそのまま食べるのはやめておいたほうがいいですよ。なにせ、北海道人は渋柿のなんたるかをあまり知らないものですから…。

ドングリパン遂行

 何の実用性もないままに、本日の教室ではドングリパンをついにやってしまいました。

 で、なかなか、よいでき、ドングリパンの味も好評でした。

 「いまどき無価値」などとは言わず、「森のパン」なんちゃって、ジブリの森あたりで、アピールしたら…とかいう本気交じりの冗談もまたちらほらと言われて。はちゃー。ははははは!

 でも、まじ、いいかもね。忘れていた味。初めて食べるドングリなのに、なぜか、どこか、懐かしい味。不思議だよねえ。どこかで、原始時代の味覚を無意識に記憶しているのかもしれないね。味覚って、不思議だよねえ。
 秋になり、ドングリ落ちているのを見ると、なぜ嬉しくなるのだろう?なぜ、拾いたくなるのだろう?ポケットにドングリをしまいこむと、なんで豊かな気分になっちゃうんだろうなあ。ドングリ集めると、なんで幸せな気分になっちゃうんだろうか?

 あーあ〜、ひとはー昔むかしー、縄文人だったのーかもしれないね〜♪

 まだ、アク抜きドングリが残っているから、クッキーのレシピも考え出してみるねと、今日の教室で、ついうっかり、また…言ってしまった。…。

 今頃、證善さんの慧光寺では、ジョン・レノンを偲び、イマジンコンサートをやっているころだなあ。偶然にも世界大戦開戦日だったこの日。平和の祈りをこめながら。私も、一人でドングリを見つめながら、一緒にお祈りいたします。

 ぎゅっと握りしめる1個のドングリに温もりが伝わって、平和のありがたさを感じます。1個の実から、芽が出て、木になり、花が咲いて、実がなるのって、すごいことだよねえ。すごいなあ、ドングリ1個って。ありがたいことです。