ドングリパン遂行

 何の実用性もないままに、本日の教室ではドングリパンをついにやってしまいました。

 で、なかなか、よいでき、ドングリパンの味も好評でした。

 「いまどき無価値」などとは言わず、「森のパン」なんちゃって、ジブリの森あたりで、アピールしたら…とかいう本気交じりの冗談もまたちらほらと言われて。はちゃー。ははははは!

 でも、まじ、いいかもね。忘れていた味。初めて食べるドングリなのに、なぜか、どこか、懐かしい味。不思議だよねえ。どこかで、原始時代の味覚を無意識に記憶しているのかもしれないね。味覚って、不思議だよねえ。
 秋になり、ドングリ落ちているのを見ると、なぜ嬉しくなるのだろう?なぜ、拾いたくなるのだろう?ポケットにドングリをしまいこむと、なんで豊かな気分になっちゃうんだろうなあ。ドングリ集めると、なんで幸せな気分になっちゃうんだろうか?

 あーあ〜、ひとはー昔むかしー、縄文人だったのーかもしれないね〜♪

 まだ、アク抜きドングリが残っているから、クッキーのレシピも考え出してみるねと、今日の教室で、ついうっかり、また…言ってしまった。…。

 今頃、證善さんの慧光寺では、ジョン・レノンを偲び、イマジンコンサートをやっているころだなあ。偶然にも世界大戦開戦日だったこの日。平和の祈りをこめながら。私も、一人でドングリを見つめながら、一緒にお祈りいたします。

 ぎゅっと握りしめる1個のドングリに温もりが伝わって、平和のありがたさを感じます。1個の実から、芽が出て、木になり、花が咲いて、実がなるのって、すごいことだよねえ。すごいなあ、ドングリ1個って。ありがたいことです。