ベルベデーレ、しつこく3度めの撮影

 私も執念深い女よね…。諦めきれずに、また撮ったわけよ。恨みのベルベデーレ。

 今日、やっと、はっと気づいたことがある。

 パンって、朝の光が似合うものと、昼の光が似合うものと、夕方の光が似合うものがあるのねえ〜。
 で、ベルベデーレとか、ライ麦パンって、朝より夜の灯りが似合う。例えば、夕方のほの暗い光の中でローソクや薪の火を灯して、暖かい光を添える、とか。
 サンドイッチとかのピクニック系の調理パンは健康的な昼の光が欲しい。
 クロワッサンとかペストリーとかロールパンなどは朝日が似合う。

 で、…。さらに「はっ!」と気づいたのは…。朝に食べて美味しいパンは朝の光で、さんさんと太陽輝く元で食べて美味しいパンは日中のお日様で、そして、あたたかなともし火のもとで静かにゆっくりかみしめたいパンは夕暮れの灯で撮れば一番しっくりする、ということ。また、暖かい季節に合うパンとか、寒い季節に合うパンとかもあるんですよね。
 どんなことでも、多角的にとらえてみることって大切かもしれない。それだけで、作り出すものが進化してゆくから…。ただ、やみくもに作ればいいというものでもないですし。

 料理という「当たり前」のものを仕事にしてゆくのは、多角的な能力を要します。ただ、美味しいものが作れるとか、料理できる、とかいうだけでは料理という抽象的なものを仕事にすることはできません。美味しいものを作り出すなんていうことは最低限の条件であり、ある意味、ひどく不味いものを作れる人のほうが希少価値があります。料理を仕事にするには料理以外に、撮影や写真の知識、経験が必要ですし、文章を書く必要もあります。また、何があってもパニくらない図太い対応力を要します。人間や社会や経済の構造というものも客観的に見えていなければいけないし、何よりも大きな勇気と決断と、それを適正に判断する知能が要求されます。料理ってホリスティック(全人格的)なものなんです。料理は仕事にするのが一番難しい分野です。
 そこそこに料理できる人々がたくさん教室に訪れます。「お店をやりたい」「料理を仕事にしたい」「料理研究家になりたい」…。
 当たり前に普通に美味しく料理できる、その程度の人間が、それを仕事にできるわけがありません。料理以外の、ありとあらゆる能力がことごとく必要とされているのですから。
 食べ物を美味しく作ること、これは人間にとって、死ぬまでずっとの最大のお仕事です。終着駅は死ぬ時です。それまで、どんなことでも、毎日毎日、一生懸命取り組まなければいけない。…と、わたし思うねん。