明日は酵母パン教室です

 明日は教室です。なんでもないフツーの生地で、フツーの食パンを焼きあげます。今回はプルマン。ふたをして焼いてみましょうね。なんでもないフツーのパンは、いかようにもアレンジできて、日々の食卓でも持て余すこともなく重宝します。

 桜吹雪の舞いも終わり、緑濃くなる季節を迎えますねえ…。草木の命はすごいです。なんでもない当たり前のことを毎年毎年くりかえし、命をつなぎ紡いでいく。当たり前な同じことのくりかえしなのに、同じものなどふたつとないところが、またすごいよねえ。まあ、命ってそのようなものなのか。

 当水屋も、温かい季節になると、日々の繰り返し仕事が増えます。糠味噌を毎日かき混ぜて、パン種のリフレッシュメントも冬場みたいにさぼっていられなくなるし、豆味噌たちは表面カビを生やしやすくなるので、天地返しも月に2度ほど手をかけてやらなくてはいけなくなります。
 こんな日常の繰り返しをつまらないこととして感じるか、楽しくて幸せなこととして感じるかは、人それぞれでしょう。つまらないと感じた瞬間から、単純な繰り返しが逆に難しいものに変わります。

「つまらない」→「難しい」と敬遠されて、すたれてきた古来からの食べ物づくりや生活のリズムの中には、自然に沿うた命の循環がたくさん詰まっています。
 それは高度な文明と裏腹な原始的な生命ですが、しゃくし定規のデジタルではない、数字のない定規の世界です。
 不規則規則のアナログ物差しは存在しているようです。不規則規則のアナログ物差しを文明品の山々の下に置き忘れたら、わたしなあざあ存在理由すらなくなっちゃうなあ。

 さて、本日も文明の利器のキーボードを叩きながら、糠味噌かき混ぜたり、パン種捏ねたりするべえーか。