はちゃーっ。やっと焼きあがりました。
本日も35度。温度が高すぎて、生地切れ続出。
ここまで高温になると、種を硬くしても、若くしても、少なめに配合しても、発酵は早く、生地はもろくなる。
オーブンを点けると、さらなる灼熱地獄。20分ほど耐え忍ぶ。(ここまでして、酵母パンなど、焼く必要はないのです。暑い時には、ソーメンですよ。)
生地切れのボロを隠すため、クープを思い切り深く入れて、開かせて、クラスト(表面の生地)が見えないようにしました。
こういう誤魔化しテクだけは、さすがです。年の功。
終戦記念日。
当時の苦しさは、夏場のパン焼きどころの苦労ではなかったはず。
ネットで検索して、当時の写真を見ました。
沖縄戦。食糧難。代用食。配給。闇市。
たくさんの記録写真の中で、極めて悲しい食事風景の写真を見ました。特攻隊員が、出陣の日に食べている最期の朝食風景です。
我慢しても我慢しても、嗚咽がこみ上げてきました。あんなに悲しい悲しい食事は、もう、絶対に絶対に、あってはなりません。
パソコンの写真に向かって、思わず合掌してしまいました。
合掌しても、祈っても、奪われた命は帰ってきません。
終戦。
そして、想像を絶する食糧難。
配給の小麦で、手作りパン焼き機を使い、うれしそうにパンを焼く子供の姿で、少し救われた気持ちになりました。
涙もろくなって、しょっちゅう、鼻をかんでいた、35度の暑い日でした。