当事者として・・路上にて

  ウグイスが春一番、鳴き始めのレッスン中です。でも、まだ、へたっぴ〜です。2,3日前の早朝から、鳴き始めました!

 へきょへきょ、ほーっ…。けきょ…かよっ、ゲッ、けっ!くそ、けきょ。けっ、けきょ。てやんで〜いいっ。(…。で、このあとの沈黙が、テメーザーケルナヨ^みたい、感じ。で、・・です。ははは!)

 東京・国分寺の庭は、ほかほか温か。日向ぽっこの陽だまりです。メダカも泳ぎ始めました。

 私は近年の総決算みたいに、ここ数日ずっと落ち込んでいます。

 早い話が、親の問題なのですがね。

 私の年老いた父が子供みたいに、我がままにダメになり、父と二人で向き合って生きている母は、父だけしか見えなくなり、(当然、そのような状況では、母だけにストレスがたまるのですが)、その「怒り」と「恨み」のストレスが、全部、丸投げで、こちらに向かってきているのです。

 自分と向き合うことなくなり、自分の主語が、「うちのじいさん」(=私の父=母の旦那)だけ!のヒトになった母は、もはや、本来的な彼女ではなく、人間ならざる奴隷のような悲しい存在ですね。

 父がそう望むせいで、他者とのかかわりをシャットアウトしています。

 閉塞的で密室的な、空気穴のない世界です。

 悲しい。

 すごいです。

 こちらも、ご同慶の至りで、クソ死にたくなってしまいます。

 涙が出て悲しいのは、父のことよりも、その世話をしている母の方が、メンタル面に支障が出ていることです。

 彼女の恨みの対象で、全てが悪いのは、「そばに私がいないから」論理なのですが、私だって、自分の力で、この足元ので、立った今を生きていかなければ、自分の命を生きられないのですから、物理的に今は無理です。

 私は、自分が、今いただいている命を粗末にできるほどの自己犠牲精神のある人間ではありません。

 自分のちっぽけな生き方だって、でも、ほんの少しは、他人様の役に立っているかもしれないなー?という、私なりの生き甲斐のような、ほのかに暖かな手触りをいつも感じています。その感触で、たった今を生きさせていただいています。

 それは、北海道と東京という物理的に離れた意味ではなく。離れていても、近くて温かい人は、温かいですからね。

 ですから、母親の「狂気」に近い異常な言動は、とても悲しいものがあります。

 私自身も、かなり(毎度ですが)蝕まれているので、電話はシャットアウトです。

 相手の勝手でかかってくる電話は、大嫌いです。

 頑張らなければ…と思っています。本、3冊分、ひかえているからね。やらなきゃね。頑張らなければ。負けてたまるか。つぶされたくはないです。頑張らなければね。明るく笑ってね。頑張らなくっちゃ。